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東京地方裁判所 昭和34年(ワ)10102号 判決

原告

寺内徳子

被告

第一日の丸観光自動車株式会社

主文

1、被告は、原告に対し一一四、八二八円及びこれに対する昭和三四年一二月二六日から支払ずみまで年五分の割合による金員の支払をしなさい。

2、原告のその余の請求は、棄却する。

3、訴訟費用は、これを五分し、その四を被告の負担とし、その余は原告の負担とする。

4、本判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

事実

第一  原告の申立及び主張

原告訴訟代理人は、「被告は原告に対し三一四、三二八円及びこれに対する昭和三四年一二月二六日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決ならびに仮執行の宣言を求め、その請求の原因として、

一、被告は乗用自動車による陸上旅客運送を目的とする株式会社であり、原告は、昭和三三年一〇月二八日午後六時頃東京都品川区国電五反田駅前において、被告の雇傭する運転手清水梅次の運転する被告所有乗用車ナンバー五き九〇〇四号に乗車し、同所から東京都千代田区内九段会館に向い進行中同日午後六時五〇分頃、同区一番町二番地先路上において米人ロバート・ジー・コンサーの運転する自家用車ナンバー外二一三四号と衝突し、これによる衝撃の結果、原告は顔面部に傷害を蒙つた。

二、右事故は被告の被用者である清水運転手の過失により生じたものである。すなわち、清水運転手は、同日午後六時五〇分頃前記自動車を運転して千代田区一番町二番地先路上にさしかかつた際、自動車は道路の右側を通行してはならないのに、中心線を越えた道路の右側を時速三五キロメートルの速度で進行し、かつ、かかる場合には前方反対方向から自動車が進行してくるのであるから、当然衝突も予想されるだけに特に前方を注視し、該自動車の進行に応じ、直ちに、減速、急停車等の処置をとつて事故の発生を未然に防止すべき注意義務があるのにかかわらずこれを怠り,漫然減速することなく、しかも右折して進行しようとしたため前方から進行してきた前記米人の運転する自動車の左前部に衝突する結果を生じたものである。

三、この衝突による衝撃の結果、後方左座席に乗車していた原告は、前部座席のいわゆる仕切に烈しく顔面を打ち付け、左頬部に腫張、皮下出血、硬結形成、骨折の傷害を受けた。このため原告は、事故の日の翌日から昭和三四年一月中まで東京都立荏原病院、柿原外科医院、岩崎内科医院及び中島外科医院において治療を受け、その治療費及び通院のための交通費として合計四、六八八円を支出し、また、原告は事故後医師から安静を命じられ、専ら通院治療に努めたが、昭和三三年一一月三〇日から同年一二月三一日までの通院期間中留守番婦として山口愛子を雇い入れ、同人の報酬として同年一一月分三、七四〇円同年一二月分四、〇〇〇円をそれぞれ支払い、ほかに本訴訟用証拠写真代として一、九〇〇円をヒルタ写真館主に支払い、結局、本件傷害事故に起因する原告の支出額は総計一四、三二八円に達する。

四、しかし、右治療にもかかわらず、傷害後約二か月間常時前記傷害部位に疼痛を覚えたのみならず、以来今日に至るまで就寝時、洗面時または汗を拭うときなど、いまだ疼痛をもよおす情況にある。また、該部に指頭大の窪みを生じたがこの傷痕は将来恢復する見込とてなく、原告は夫との間に六人の子女を有する婦人であるところ、クリスチヤンとして教会の各種集会に出席し、または子供六人の通学先学校の会合等に出席する必要があるのであるが、その面貌にかような傷痕を止めたことは、その都度精神上大きな悩みを負わされることとなつた。しかも清水運転手ならびに被告会社首脳は、原告の蒙つた被害について何等誠意ある慰謝の方法を講じようともしない。かような次第で原告は、本件傷害により肉体的精神的に苦痛を蒙ること甚しく、将来も永く精神的苦痛を蒙ることは明らかである。そこで原告は、清水運転手を使用する被告に対しこの精神上の損害を償うため三〇〇、〇〇〇円の賠償金の支払を求め、前記物質上の損害金一四、三二八円とあわせ合計三一四、三二八円及びこれに対する本訴状送達の日の翌日である昭和三四年一二月二六日から支払ずみまで民法所定年五分の割合の遅延損害金の支払を求めると述べた。

第二  被告の申立及び主張

被告訴訟代理人は、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め、答弁として、原告主張事実中、一は認める、二は否認する。清水運転手は、半蔵門から英国大使館前に通ずる道路上を、センターラインの左側を運転進行し、三番町ホテル前から九段坂病院方面へ向い時速一〇キロメートルに減速して右折し始めたところ米人の運転する乗用車が、三番町ホテル附近から都電三番町停留所のすぐ傍を横断してきた。この進行方向からすれば、該自動車は当然四谷方面へ西進するものと予想されたのに突然左にハンドルを切り南方半蔵門方面へ進路を転じたため清水運転手の操縦する自動車と接触したものであつて、この接触事故は右米人の無謀な操縦に起因するものであり、清水運転手には何等過失はない。仮に、そうでないとしても、同運転手の過失は軽少なものである。三のうち、衝突事故による衝撃の結果原告が自動車の仕切に左顔面を打ち付けて負傷したこと(ただし、傷害の具体的内容は争う。)及び原告がその主張の期間内数回にわたり医療を受け、その主張のような治療費及び交通費を支出したことは認めるが、その余は争う。四は否認する。被告としては原告宅へ早速お見舞に赴き、示談交渉、謝罪のため、数回訪問したが、原告の夫が話合いを拒んだため示談成立に至らなかつたものであると述べた。

第三  証拠(省略)

理由

一  (被告の被用者が衝突事故を起し、原告が受傷したこと)

被告は、乗用自動車による陸上旅客運送を目的とする株式会社であり、原告は、昭和三三年一〇月二八日午後六時頃東京都品川区国電五反田駅前において、被告の雇傭する運転手清水梅次の運転する被告所有乗用車ナンバー五き九〇〇四号に乗車し、同所から東京都千代田区内九段会館に向い進行中同日午後六時五〇分頃同区一番町二番地先路上においてロバート・ジー・コンサーの運転する自家用乗用車ナンバー外二一三四号と衝突し、これによる衝撃の結果、原告が顔面部に傷害を蒙つたことは、いずれも当事者間に争がない。

二  (右衝突事故と清水運転手の責任について)

原告が受傷する原因となつた右衝突事故がはたして運転手清水梅次の過失に基くものということができるかどうか考察しよう。成立に争のない甲第四〇、第四一、及び第四三号証、証人星恒雄の証言により真正の成立を認める甲第二号証、証人清水梅次、寺内正雄(ただし、上記証人両名の証言中後記不採用部分は除く。)及び星恒雄の各証言、原告本人尋問及び検証の各結果を総合すると、清水運転手は同日午後六時五〇分頃被告所有乗用車ナンバー五き九〇〇四号を運転し、その助手席に原告の長女貞恵を、後部座席の左側に原告を、その右側に原告の夫寺内正雄を乗車させて前記一番町二番地先路上を半蔵門方面から九段上方面へ向い時速約三〇キロメートルで進行し、英国大使館前を経て三番町ホテルの角を千鳥ケ渕に沿つて九段坂病院方面へ進行すべく右ホテル傍の交叉点直前にさしかかつたところ前方約一六米程の交叉点内の地点に米人ロバート・ジー・コンサーが前記外車を運転し三番町ホテル(旧館)方面から交叉点の中心方面に向け進行するのを発見した。折から雨天で路面は暗くしかも湿潤していた、かかる場合に右状態のもとに右折しようとする自動車の運転手たるものは、反対方面から進行してくる自動車の動静にたえず注目するとともに減速し、機に応じただちに急停車する等の処置をとつて事故の発生を未然に防止すべき法律上の義務があるのに、清水運転手はこれを怠り、時速一〇キロメートル位に減速しただけで、外車がハンドルをやや右に切つて接近するのを認めるや四谷方面へ右折するものと軽信し、その後の動静に対する注視を怠つて前進したところ、外車が予期に反して半蔵門方面へ直進したため、外車と清水運転手操縦の車とが正面から向きあう態勢になり、急停車の措置をとつたが及ばず同車の前部左側バンパー、フエンダー、ライト部分を、右外車の前部左側バンパー、フエンダー部分に激突させ、その衝撃により、原告はその顔面部を前部座席の仕切に烈しく打ちつけて左頬部腫張、皮下出血、硬結形成の傷害を受けたものであることを認めることができる。証人清水梅次、同寺内正雄の各証言中右認定に反する部分は当裁判所において措信し難い。他に右認定を左右しうる証拠はない。

従つて原告の受傷は清水運転手の過失に起因するものといわなければならない。

三  (物的損害について)

本件事故によつて原告が受傷し物質上どのような損害を蒙つたか考察しよう。原告は右衝突による衝撃をうけて顔面に受傷しその傷害の治療のため本件事故発生日の翌日たる昭和三三年一〇月二九日から同三四年一月中迄東京都立荏原病院、柿原外科医院、岩崎内科医院、及び中島外科医院において何回も治療を受け、その治療費及び通院のための交通費として合計四、六八八円を支出したことは当事者間に争がなく、証人寺内正雄の証言により真正の成立を認める甲第三四ないし第三六号証、同証人の証言ならびに原告本人尋問の結果によると、原告は本件受傷後医師から安静保持を申し渡され通院加療に専念していたが、その家庭には夫のほかに六人の子女があつた(いずれも通学中)ので、右通院中家政婦山口愛子を雇い入れ同人に家事の処理を委ね、その報酬として昭和三三年一〇月二九日から翌月末日までの分三、七四〇円、同年一二月分として四、〇〇〇円をそれぞれ支払い、また、本訴訟の証拠写真(甲第三七号証の一、二)作成代として昭和三四年六月頃ヒルタ写真館主に一、九〇〇円を支払つたことを認めることができる。右認定に反する証拠はない。

この事実によると、原告が本件受傷により受けた物質上の損害額は、総計一四、三二八円に達するものということができる。

四  (精神上の損害について)

次に本件受傷により原告がどのような精神上の損害を蒙つたかを考察しよう。前記甲第二号証、成立に争のない同第三九号証、証人寺内正雄の証言により原告主張のような写真であると認めうる同第三七号証の一、二、証人星恒雄、寺内正雄、斉藤勉三及び清水梅次の各証言ならびに原告本人尋問の結果を総合すると、被告はいわゆるタクシー会社であつて、その本社営業所だけで三三台の営業用車輛を保有し、被告会社全体としては更に多数の営業車を保有して相当の収益を得ているものであるところ、原告は、当三九歳の家庭婦人で、その夫寺内正雄は一〇数人の他人を雇傭して鉄工場を経営し月収およそ二〇〇、〇〇〇円を挙げ(ただし最近は健康を害したため、一時、他人に工場をみて貰つている。)ているものであり、夫婦の間に長男貞文(当一九歳大学生)、長女貞恵(当一五歳、中学生)、次女明恵(当一三歳中学生)、次男貞大(当一一歳小学生)三男貞彦(当九歳小学生)三女順恵(当八歳小学生)の子女六人があつて平穏な家庭生活を営んでいたものであるところ、不慮の事故にあつて本件傷害を蒙り、事故の翌日から昭和三四年一月中まで前記各病院または医院を次々と訪れ、診断治療を請うたが、どの医者からでもよいから治るという診断を得たいという原告のささやかにして切なる希望は、いずこにおいても、ついに満たされなかつた。しかも、今なお、季節の代り目などには受傷箇所に鈍痛を覚えることが絶えず、時には頬の筋肉が痙攣して左の眼から涙が出るような症状もあり、笑つたりして顔の表情を変えると受傷部分の傷痕が際立つような状態が続いている。その間、原告は、昭和三五年七月二一日星恒雄医師に診断を仰いだが、その結果は、右現在の自覚症状を医学的に確認するようなものであつたこと、このような傷害後の病状であるため、原告は、受傷後人前に出ることを自然憚るようになり、人の集る場所に出ることを避けるようになつていつた。原告は幼時よりキリスト教会に馴染み、婚家も信者であるから婚姻後は長原教会に属する敬虔な信者として同教会を中心として行われる各種礼拝、聖書研究会等の集いに熱心に参加していたものであり、また、六人の子女の通学先学校の後援会、P・T・A等の各種役員としても活動していたが、受傷後は自己の容貌に指頭大の傷痕が存するため、出席の都度蒙るべき精神的苦痛を恐れ、いまでは、学校関係の役職を退き、わずかに、時折の日曜礼拝に心の慰めを見出していること、原告と被告及び清水運転手の間には、本訴繋属の前後を通じ数次の話し合いが行われたがいまだに示談成立に至らないことをそれぞれ認めることができ、右認定を覆えすに足る反対証拠はない。

以上の事実によると、被告の被用者清水運転手の前記過失行為により、原告が受傷したため多大の精神的苦痛を蒙つたことは否定しえないところであり、被告においてその損害を賠償する責任あることは、当然であり、その慰藉料額は、本件における諸般の事情を斟酌すると、一〇〇、〇〇〇円をもつて相当と認める。

五  (むすび)

以上説示したとおり、清水運転手の使用者として被告は、原告に対し、物質上の損害金一四、三二八円と精神上の損害賠償金一〇〇、〇〇〇円の合計額一一四、三二八円及びこれに対する本訴状送達の翌日である昭和三四年一二月二六日から支払ずみまで民事法定利率による年五分の遅延損害金の支払義務あるものというべく、原告の本訴請求は右の範囲においては正当としてこれを認容すべく、その余は失当として棄却し、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法第八九条、第九二条本文を、仮執行の宣言につき同法第一九六条第一項をそれぞれ適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 柳沢千昭)

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